yossan's session

よっさんのセッションへようこそ!ご感想はコメント欄を非表示にしているためお手数ですがLINEまたはメールでください。

肯定的な表現を使う

本日は認知に関して - yossan's sessionの記事に書きましたことと関連性がありますのでご興味がある方はご覧ください。

少しおさらいです。

”起こった出来事が良いことか、悪いことかを決めているのは自分の認知(捉え方)次第。その捉え方の要因は今までの「経験」が大きく影響している。紙に書き出して本当にその捉え方って正しいの?と自問自答してみる。”

出来事は変えられないが受け止め方は変えられるというものでした。

その方法の一つに、

”起こったことは変えられないが、ポジティブな言葉を意識して使うことで、その後の考えと行動は変えられる。”

というものがあるらしいです。


例えば、上司に叱られてただ落ち込むか、次の仕事で挽回するか!と自分を奮い立たせるか、叱ってもらえているうちが花と捉えるか。自分の心の中でどう言い聞かせられるかポイントのようですね。私はしょんぼりすことが多々ありますが(苦笑)

また、普段の口癖を変えることによって、脳の考え方の癖を変え、矯正することができる。ということも見聞きしたことがあります。

自身を振り返ってみると、仕事終わりなどに「疲れた」と言う表現し使っていませんでした。しかし行きつけの美容師さんが「この頃、心地よい疲れが続いてるんですよ」と言っていたのを聞いて、私は疲れていてもそんなに疲労度が高くなければ「心地よい疲れだな」と思うようにしています。さらにもう少し疲れているときは「充実感がある」と思うようにしたいです。ぐったりしているときは「整体に行ける!」位に思っておきましょうか。

自分の状態を表すポジティブな言葉が少し増えました。これが他者に対してもプラスな表現が増えれば良いなと思います。最初は思ってもいなくてもプラスの言葉を使っていくうちに数か月した頃から本当にそう思えるようになってくるらしいです。

マイナスな言葉や表現を、プラスに思っていなくてもプラス表現に変えていく。脳が良いように勘違いするとのことです。以前、YouTuberの方が毎朝、自分に「いいね!」と言い聞かせてると言う話を視聴しました。

中々難しい部分もありますけど、無理のない範囲内でマイナスな言葉を肯定的な表現にしていきたいです。本日もご覧になっていただき、ありがとうございました。

 

マインドフルネス

人間は思考を1日に6万回位としていると言う。

回数はともかく、過去や未来のネガティブなことを繰り返し考えていることが多いらしいです

中々、意識が「今」に向かないようです。

「今を生きる」と言う映画も見たことがあります。

さて、「今」にフォーカスする「マインドフルネス瞑想」に関して書くのはいつか…

 

今でしょ!

 

ぁ、気を取り直して…

私は最初マインドフルネス瞑想と聞いて怪しい宗教なのかなと思っていました。

しかし、アップルやインテル、グーグルなども取り入れていて、そのための専用の部屋を設けている会社もあるとのこと。

マインドフルネスの1つ目の効果としては「脳の休息」。2つ目の効用としては「勝手気ままに湧いてくる思考や、感情にあまり左右されなくなる」とのこと。

方法は至ってシンプルで吸って吐いての「呼吸」と「今、ここ」に集中する。

しかしながら「シンプル」と書いたもの「簡単」ではなく、私自身、呼吸もコントロールしてしまいそうになるし、何といっても「今、ここ」に集中出来ないです。明日のこととか今までの出来事と言った「過去」・「未来」に意識が行ってしまいます。

もしご興味があれば自分の楽な格好で軽く目を閉じて、試しに1分間「今、ここ」だけに集中してみると分かると思います。いかに「雑念」が多いかということを。でもそんな雑念が湧いてきても「雑念が湧いてきている自分はダメだ」とかジャッジせずにまた「呼吸」と「今、ここ」に集中し直す。

「雑念」などが起きてきたら「ラベリング」というテクニックがあるらしく、ラベルを貼るように気づいたことを言語化し、自覚するというものらしいです。私はまだここまでのテクニックは使えておりませんが…。

瞑想の最中に「仕事」のことを考えてしまったら「雑念」と考えラベリングし思考と自分を切り離す。

何か「辛い」と思い始めたら「辛いという気持ちに過ぎない」とラベリングをする。

マインドフルネスを続けていくと感情や思考の波に飲み込まれにくくなるらしいです。

以下、吉田 昌生さん『マインドフルネス瞑想入門』より

 

“思考イコール自分では無い。

「私の本質は、勝手気ままに湧いてくる思考ではない。

それを観察している側の自分が本当の自分である。」

瞑想により「自分」と「思考」や「感情」との間に「スペース」が生まれる。”

 

ここまでの境地に行ける自信はなかなかありませんが11月1日から昨日まで寝る前に1日平均3分ほどマインドフルネスしております。5日間程、疲れていて怠ってしまいましたが…。

本日もお越しいただきありがとうございました。

高校生の頃の自分に言いたい

大学受験の勉強を本格的に始めたのが高校2年生位からでした。
私は理解力や暗記力が乏しいので、早くから始めないとまずいなと言う気持ちがありました。また、いかに安全に帰れるかを考えている部活(帰宅部ですね)だったものですから高校時代に何か頑張ったことを残しておかなければならないと言う思いもありました。野球もやってませんでしたね。

電車の中では英単語・古文単語帳を開き、歩いてるときは読むと危ないですから、ぶつぶつ呟いて寸暇を惜しんで勉強をしておりました。もう時間が無いという受験への危機感と言うか焦りがありました。

その当時思っていたのは電車内で勉強をしている大人が少なそうだなという事でした。本を広げてる人もあまりいませんでした。一部の向上心や意識高い人しか勉強しないのかなと思っていました。

でも今になると、仕事をして勉強もするとなると疲れてしまって、したくても電車の中ではなかなかできないものだと感じました。私も上司から借りてる仕事に関わる本を週に3日間位、1日平均30分程しか電車の中で読めない。あとは休日に読むかと言った具合になっています。

疲れるというのもありますが、辛い気分を変えるためにこのようなことをしている人もいました。

何年も前に人事をしていた人から伺った話なのですが、人事だから従業員に転勤を言い渡すことがある。そうすると従業員の奥様が泣きながら電話をしてくることがあるらしいです。さらにリストラも断行しなければならないときはやりきれない気持ちになるそうです。その気持ちをリセットするために帰宅の電車内で月曜日の週刊少年ジャンプから始まりマガジン、サンデーなどの漫画雑誌を金曜日まで毎日読んで、最寄りの駅のホームのゴミ箱に捨ててたらしいです。

また、昔の話になりますが帰宅先の電車で上司にバッタリ会ったときスマホのゲームをせれていた。「課金してる人には敵わないよ」とおっしゃっていたのを思い出した。ストレス解消だったのかもしれない。

高校生の頃は漫画はもう読まないか、ゲームももうしないかみたいな、ませた?ことを考えていました。

大人にもなって漫画を読んでる、ゲームをしている人は意識が高くないのでは言う偏見を持っていた高校生の私。

そんな高校生だった私に言いたい。向上心が無いのではなく、疲れている。または漫画やスマホのゲームで気分転換しないとやり切れない大人も多くいるのではと。また、別にそうではなくても、大人になっても単純に漫画やゲームは楽しいものだと教えてあげたい。

あぁ、スクウェア・エニックスさんファイナルファンタジー7 クライシスコアをPS Vitaで出していただけないでしょうか?プレイしてみたい…。任天堂さん、MOTHER2をSwitch Liteで(まだ持ってないけど)遊ばせていただけないでしょうか?

本日もご覧になっていただきありがとうございます。

「普通」を疑ってみる

「普通」についてふと疑問に思ったことがありました。

普通って何でしょうか?
何を基準に普通なのでしょうか?
程度が甚だしくないことでしょうか?

普通や常識は別物なのか、普通は誰かが世の中に行き渡らさせているものなのか、それとも個々人が成長とともに培ってきた、育んできた価値観なのか。う〜ん世の中の風潮などによって人々はある種の普通を刷り込まれて、気付かぬうちに影響されてるのでしょうか?

普通とは別物かもしれませんが「流行」に関して考えてみると、いきなりですがお歯黒って歴史か古文で習いましたよね?どうやら江戸時代には女性の身だしなみとなっていたそうです。

あれって多分、当時はオシャレのスタンダードだったのでしょうか?今じゃお歯黒してる方を見かけませんが。

お歯黒にしても?ファッションにしても、タピオカなどの食にしても「流行」は分かりやすいですよね。

 

しかし「普通」と言うものは分かりにくいです。なかなか見えにくいトレンドなのかもしれないです。

皆様はどう思われますか?

抽象的であり、答えも出してもいない記事で、読み応えのない記事でしたらすみません…。

この記事は加筆するかもしれないです。

本日もご覧になっていただきありがとうございました

追記:多分あと4~5本の記事を書いたら一旦投稿をお休みします。その後は毎日の更新は多分しないです。自分の身の丈を越えたことを書かないためにも。

皆様お好きな記事をカフェテリア方式で(企業の福利厚生か!?って突っ込まれる方がいらっしゃいますかね?)選んで読んでみて下さい。2日に1本ずつでも1ヶ月で読み終えてしまうと思います。

あとの4本はこんな記事を投稿しようと思います。

「高校生の頃の自分に伝えたいこと」

アサーションの上手い人が職場にいる」

「プラス表現」

「マインドフルネス」

どうぞよろしくお願い致します。

 

 

読書について

アバタローさんと言うYou Tuberの方がいらっしゃってダンディな声で名著を紹介されています。その動画の中で私の印象に残ったのは

 

ショウペンハウエルさんの

 

『読書について』

 

でした。本の読み方に関して私自身、耳の痛い話が続くのですが、特に表紙にある

 

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間は自分でものを考える力を失っていく」

 

と自分の頭でものを考えることの大切さを説かれているこのフレーズは少々ドキッとさせられました。また本書にはこのような文があるようです。

 

「読書とは他人の思想が自分の精神に入り込んでくること。他方で自分で考えることは誰にも邪魔されない自由な活動である。

 

アバタローさんが上述のことを下記のように上手く例えてくれています。

 

“本と言うとイメージしにくいかもしれないが毎回同じ新聞やテレビのコメンテーターの発言を読み聞きしていると、その人たちの考え・思想が無意識に刷り込まれてしまっていることがある。”

またアバタローさんはこのようにまとめてくれています。

 

“さらに読書というのは自分の思考の泉が途絶えたときの最終手段であり、大量の本を貪るのは罪である。

 

“ショウペンハウエル先生(アバタローさんは先生と呼ばれている)は読書そのものを否定している訳ではなく、自分で仮説を立てて、その上で信頼度の高い本にあたってみる。”

 

この他にもアバタローさんは

 

”良書(ギリシャ・ローマの古典)に関しては多読しても問題ない。”

”良書は繰り返して読まないと間違った解釈をすることがある。”

 

と要約してくれています。

 

確か武井 壮さんも『ソクラテスの弁明』を中学生くらいの時に読んで

印象に残っているようなニュアンスのことをラジオでおっしゃてました。

私は古典を読んだことが皆無...。

 

一昨日のブログで「考えること」に関して書きましたが、ショウペンハウエルさん結構私にはハードルの高いことをおっしゃる。まず自分で考え自説を立ててから信頼のおける書籍にあたるですか…。

 

上記のアバタローさんの要約通り、いつの間にか他人の考えや意見が自分でも気づかないうちに自分の意見になってしまっていることもあるかもしれないですね。

 

最後に私自身、本を読むことが目的になってしまっている側面がありました。うすうすそのことに気付いていたものの今回この動画を2ヶ月位前に見て、良いなと思った自己啓発系の本は繰り返し読んで「実践」している最中です。何をかはまたいつかブログに書ければと考えております。『営業の魔法』と言う本を何度も読んで実践しているという営業の方がいるのを昔、進路・就職に関する本で読んだことを思い出しました。

 

もしご興味あればアバタローさんの動画をYouTubeでご覧になってみてください。

「アバタロー 読書」で検索すれば出てくるはずです。約16分位の内容です。

 

本日もご覧になっていただきありがとうございました。

水谷もりひと『日本一心を揺るがす新聞の社説』

本日もお越しいただきありがとうございます。昼休みに記事の下書きを一部していました。

 

今回はタイトルの本を紹介したいと思います。

 

ニュースを見ていると悲しいものや残酷な刑事事件など見るに堪えないものがありますよね…。

 

しかし、みやざき中央新聞と言う心温まる話や感動する話を中心に載せている新聞があるらしいです。その社説から選んで書籍化されたものが今回紹介する

 

ごま書房新社から出ている

『日本一心を揺るがす新聞の社説―それは朝日でも毎日でも読売でもなかった』 です。現在4巻まで出ています。著者は編集長の水谷もりひとさん。

 

私は全巻読んでいるのですが、特に1巻と2巻に好きな社説があります。

3本の記事をネタバレしないように紹介します。

 

まずは2巻に載っている社説なのですがタイトルを言うとほぼネタバレになってしまうので伏せます。

昨今、暴れだす人まで出てくる成人式がニュースなどでとりあげられますよね?そんな中、私は読んでいてほっこりしたお話です。ではここから社説の一部を抜粋します。

 

成人式の会場にクロネコヤマトの仕事着の若者が入ってきた。1日休むとトラック1台分の荷物の配達が1日遅れる。人手も足りず、仕事を休むことができなかったということで、彼は配達の途中で式典の会場に立ち寄ったとのことだった。

受付の人が「住所を書いて下さい。最後に記念写真を撮って送りますから」と言うと、「いやぁ、この格好だから記念写真は結構です」と断った。そのとき受付の女性が言った…。

 

この後が秀逸でした。どのようなことを言ったのでしょうか。

 

次は1巻の最初にある、~心を込めて「いただきます」「ごちそうさま」を~

食肉加工センターの職場では毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されている。牛を殺されるとき、牛と目があう。そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。

 

ある日の夕方、牛を乗せた軽トラックがセンターにやってきた。しかしいつまで経っても荷台から牛が降りてこない。坂本さんは不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。その声が聞こえてきた。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ・・・・・・」

坂本さんは思った「見なきゃよかった」

 

坂本さんはこの後どうするのか、ここまででも相当考えさせられる記事ですが最後まで読むと熟考すべき内容だなと思います。

 

最後にこれも1巻に掲載されている駐車場の管理人の物語。これは要約して掲載します。

Aさんは駐車場を借りている。そこには定年後、駐車場の管理人として働き始めた初老のおじさんがいた。そのおじさんはAさんにいつも明るい笑顔で「おはようございます。今日もいい天気ですね」と声を掛けてくる。

ある日のこと、移動の途中で雨が降り出し、駐車場に車を入れた後、車から出られず困っていた。するとおじさんがやってきて、「傘忘れたんでしょ。これ持ってきなさい」と貸してくれた。

満車のとき、「満車」と書いた大きな看板を入り口に置いておくのが普通の駐車場だが、そのおじさんは満車になると、入り口に立って、入ろうとするドライバー一人ひとりに「申し訳ありません。満車です」と頭を下げた。クレームを言う客がいると、その車が見えなくなるまで頭を下げ、見送っていた。それを見ながらAさんは「そこまでしなくてもいいのに・・・」と思っていた。

ある日車を止めてあいさつをすると、おじさんは「今週いっぱいで辞めます。色々お世話になりました」と言う。奥さんが病気になったらしい。

残念に思いながら、最後の日、Aさんは感謝の気持ちを込めて手土産を持っていった。そして駐車場に着いたとき、Aさんは信じられない光景を見たのだった…

結末は書きませんが、ご興味があれば私にメールでもLINEでもいただければ気になった話の結末は送らせていただきます。

でも、この他にも心温まる話があるので本を手に取って読んでいただければ幸いです。ただし本屋さんにネット検索してもあまり在庫が無い。Amazonで中古でご購入するのも手かもしれません。私のでよければ貸しますよ!フセンついてますけど…。こういう良い本がもっと流通してほしいなぁと思う次第です。

f:id:yossan_session:20201117220219j:plain

本日もお越しいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

考えることを考える

本日もブログにお越しいただきありがとうございます。

実は先ほど今日のブログの記事を誤って消してしまって書き直したのですが、何割位内容を思い出せているだろうか…。

さて気を取り直して、「考える」って何ですか?ということを皆様から教えていただきたくブログを書きました。
 
「自分の頭で考えなさい」と言われたことがある人もいるでしょう。
 
よく論理の本とかだとピラミッドストラクチャーを作って論拠と主張を整理するとか載っています。私も大きめのフセンで自分の思いついたことをペタペタ貼ってグループ化したり、そのグループ化した中から共通事項を抜き取って自分は何が言いたいのだろうかなどしていた時期があったのですが、上手くできてたのか分からないです…。
 
人によっては考えるとは「なぜ」、「なぜ」を繰り返して深掘りすることだとおっしゃる。
テレビか何かで身の回りの「なぜ?」を考えることが大切だと言うのもありました。例えば横断歩道はなぜ、しましまなのか?坂道によっては丸いドーナッツ型のくぼみみたいのがいくつもあるものがあるがそれはなぜかを考える。
 
また違う人はインプットしたものを練り直して構成したものをアウトプットするのようなニュアンスのことを言っていました。
 
喩えれば、私からすると「考える」とは冷蔵庫にある食材(頭にある経験や読書などから得られた知識)から必要なものを選択して出してくる。それらを調理して料理をだすプロセスなのかなと思ってるのですが漠然としてますね…。
 
皆様の「考える」とはなんですか?
また考えるトレーニングはどのようにしていますか?
お手数ですがLINEやメールで教えていただければ幸いです。
 
本日もご覧になっていただきありがとうございました。