苦しかったときの話をしようか ~新しい職場に行かれた方へ~
転職をされる方、これから就職する方、人事異動で全く畑違いの部署に行かれた方、そして私自身へ。
私自身、新しい職場に行くと、自分の仕事の出来なさに落ち込んでしまうことがあります。
そんな時に以前、全ては読まなかったのですが、
森岡毅さんの『苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書き溜めた「働くことの本質」』に書かれていた内容が心に響いたような気がします。
以下、引用です。
社会人デビュー直後は、自分が相対的に「一番できない人間」になることは誰にとっても避けられないものだ。
潰れないためには、最初から肩の力を抜いて、最後尾からスタートする自分を予めイメージしておくべきだ。そこから本当の努力を積み重ねられる自分であるかどうか。つまり「今日の自分は何をどう学んで昨日より賢くなったのか」、その1点を問える自分であればいい。
先週書いた、石田ゆり子さんの比較しないことに通じる部分がありますね。
また糸井重里さんの『はたらきたい。』にも
新人の最初の仕事はいかに自分が仕事が出来ないかを知ること。
のようなことが書いてありました。
最初は仕事が出来ない自分を責めずに周囲の方々の足を引っ張らない程度に成長していきたいものです。
本日もご覧になっていただきありがとうございました。
次回以降は「丁寧に自分と向き合う」「SNSとの付き合い方」『ざんねんな努力』に関して書ければと思います。
他人と比較することに意味はあるのか 石田ゆり子さん『セ・ジョリ ここちいい毎日』
こんにちは!1週間振りです。
皆様は他人と比べて「ああ、自分はここが劣ってるな」とか感じることはあるでしょうか(その逆で秀でてるな、もあるかもしれません)?
私は特に今までの仕事で、あの人は仕事の飲み込みが良いなぁなそれに比べて自分ときたら、と劣等感を抱くときがありました。
「劣等感を楽しめ!」とか「劣等感をバネにする!」と言う人もいますが私はその境地にはなれない…。
そんな時に女優の石田ゆり子さんの『セ・ジョリ ここちいい毎日』を読みました。
ちなみに「セ・ジョリ」はフランス語で「可愛い・素敵」という意味らしいです。前半は美容のことが書いてあるのであまり熱心には読みませんでしたが後半は石田さんの考え方がユニークで何度か読み返しました。
特に、上述の「他人と比較すること」に関しての石田さんの考え方は興味深かったです。結論から言うとよく言われる「他人と比較することにあまり意味は無い」ということなのですが、なぜ石田さんはそう思うのかの部分が関心をそそられました。
石田さんは小学生・中学生位の頃だったような気がしますがオリンピックを狙える位の水泳選手だったそうです。しかし確かお父様の台湾への転勤で日本代表への可能性が無くなってしまった(水泳選手以外の内容は書籍にはほとんど書いてなく、オリンピックの話などは以前、私がテレビで視聴した話です)らしいです。
その石田さんは水泳選手として欠落していたことがあったと言います。それは「争うことの意義が分からなかった」ことらしいです。不思議なことに、誰かより速く泳ぎたいとか、ライバルに勝ちたいと思ったことが一度もないとのこと。それより自分のベストを尽くすことのほうが、ずっと大事。昨日の自分より速く泳げればそれでいい。と書かれています。
また石田さんは女優なので役をいただくオーディションに出ることがあったらしいです。そこでも他者と闘うのではなく、「自分のベストを尽くす」ことが大切とおっしゃってます。
さらに印象的な言葉がありました。それは…。
「自分の価値は他人と比較することで生まれるものじゃない。自分自身に見出すもの。」
深いことおっしゃいますね。
でもやはり私、人と比較してしまう癖がぬけません。
皆様はいかかでしょうか?
この本には他にも「しなやかな頑固者でありたい」など石田さんの独特な姿勢・考えがうかがえて面白かったです。
次回以降は
・『苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書き溜めた「働くことの本質」』
・誰かが見ていてくれる
・『ざんねんな努力』
に関して投稿していきたいと思います。
今回もお越し頂きありがとうございました。
負けること
このコラムは過去に書いたものを加筆・修正したものです。
とあるスポーツ漫画のなかで
“『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になる。”
という言葉を主人公達のチームと対戦して負けたチームの監督が発します。
これは挫折を乗り越える経験を「無形の財産」として捉えているのではないのでしょうか。
そして負けるということは悔しい思いや辛い感情を抱いている人への共感“的”理解が多少なりとも出来る人へつながっていくのではないかと思います。
長年予備校のトップ講師として活躍されている西谷昇二さんと言う英語の先生がいらっしゃいます。
西谷さんは書籍の中で
「理解する」は英語で「understand」という。分解すると「under」(下に)「stand」(立つ)だ。人間は「下に立って」初めて物事を「理解する」ことを、この中学生でも知っている簡単な単語は教えてくれる。1度も下の立場に立ったことのない人、1度も負けたことのない人には、人間のもつ悔しさ、悲しさなどを理解するのは難しい。”
と述べられています。
最後に詩人の相田みつをさんです。この様な2つの詩があります。
“七転八倒 つまづいたり ころんだり するほうが 自然なんだな にんげんだもの”
もう1つの詩は長いので要点だけをかいつまんで書きますと。
“柔道の受け身(投げられたりして床に倒されるとき、危険が少ないようにする練習)は人の前で叩きつけられたりする練習。
いわば失敗したり恥をさらしたり、ぶざまにさらけ出す練習であると。長い人生にはカッコよく勝つことよりもぶざまに負けることのほうがはるかに多い。そして負け方や受け身のほんとうに身についた人間、人の世の悲しみや苦しみに耐えてひと(他人)の胸の痛みを心の底から理解できる、やさしく暖かい人間になれるんです。”
と書いてあります。
負けたことや苦しい経験をしたことがあるひとは、それを乗り越えたときに「目には見えない大切なもの」をつかめる可能性がありますし「共感“的”に人の苦しみを理解できることがある」のでないでしょうか。
ただし私は負けても、できるだけ「卑屈」になりすぎずに、苦しい体験を乗り越えていければなと思います。その先にまた新しい自分が見えてくるのではないでしょうか。
次回は、「多忙な時こそ忘れがちなこと」または石田ゆり子さんのエッセイから感じたことを書きたいなぁと思っております。今回もお読みいただきありがとうございました。
上手くいかないときにどういう自分でいられるか
タイトルの「上手くいかないときにどういう自分でいられるか。」というのは野球選手だったイチローさんの「結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。」というお言葉を少しアレンジしました。
僕はこれらの言葉を元野球選手つながりになりますが、松井秀喜さんからも感じ取ることが出来ました。松井秀喜さん(以下、松井選手)と言うと少し野球にご興味がある方からすると「ホームラン」「パワーが凄い」と言った印象を持たれているのではないでしょうか。私もそうでした。日本にいた最終年50本のホームランを打ち、その年以外にも沢山のホームランを放ち、スタープレーヤーとしてアメリカメジャーリーグに渡った松井選手、多分多くの人がメジャーリーグでも沢山のホームランを期待していたのではないでしょうか。
しかし、メジャー1年目の松井選手は16本のホームランにとどまりました。
でも私にはこの年の松井選手の「態度」と言うか「姿勢」が印象的でした。
なかなか、打てずにメディアから叩かれても淡々と試合に臨む。何度結果が伴わなくても悔しさでバットやヘルメットを叩きつけるようなことも見ませんでした。地元のファンからブーイングを受けても、ポーカーフェイスで試合に出続ける姿に私は彼の放つホームランよりも凄まじい精神力を感じました。
『不動心』と言う松井選手のことが書いてある新書があります。内容は覚えていませんがタイトルはまさしく松井選手の心のありかたを示したものだなと思いました。
野球でなくても私たちの日々の生活のなかでも、上手くいかないことは多々あるはずです。むしろ上手くいかないことのほうが多いのかもしれません。そういう時にストレス解消をしながらどういう自分でいられるか、自分と向き合ってみたいものですね。
実はこのあとに「負けること」と言う内容でコラムを続けたかったのですが長くなりそうなのでまた次回に投稿したいと思います。今回もご覧になっていただきありがとうございました。
断定的に書かない・固定観念を打破する(ここにて少しブログはお休みします)
ブログを読んでくれている方の中で気づいていらっしゃる方もいま
仕事においては断定しないと顧客や周りの同僚を心配させてしまう
しかし、私は断定することは物事を「多面的」に見る「可能性」を
私が学生の頃、先輩が「大学に入ったのは多面的に物事を見ていき
話はそれるかもしれませんが高校生の頃、とある大学の教授が
人は情報量が少ないと「ステレオタイプ※」なものの身方や考え方
豊かなコミュニケーションが、世の中の色々なステレオタイプを打
※ 先入観、思い込み、認識、固定観念
と大学冊子に書かれていたのを見ました。
私は大学では様々な人達に話しかけたり、他の大学の方々との交流も積極的に行っていたような気がします。見た目からは想像できないような様々な背景を持った人々に出会えて良かったです。欲を言えばもっと旅に出て旅先でいろいろな人とお話すれば良かったと思います。お金は無かったけど時間はあったのだから青春18きっぷなんかや民宿なんかをうまく使ってたらなぁと思い返します。
話を戻します。物事にしても、人に対しても断定的に捉えるのではなく、いろいろな可能性・側面を探りながら柔軟な視点で見ていければ良いなぁと感じる次第です。
15~16本近くのブログを書きましたがいかがでしたでしょうか?まだ書きたい内容や皆様に伺いたいことはあるのですが、もう少し自分のなかで考えて熟したときに書きたいと思います。また身の丈を越えたことを書かないようにすると言うためにもちょっとお休みします。ウケるネタを書こうとか思い始めると違った方向に行ってしまいそうなので。自分の考えを整理するために忘れないために書いていたのもあります。そして皆様に伺うこともできるブログと言う形を取らせていただきました。
けっこう日本語がおかしい箇所もあったでしょう…。抽象的すぎるよ!と言うお声もあるかもしれません。申し訳ありません。しかしお忙しい中、平均1,000字近い長文を読んでいただき、ありがとうございました。
後ろ向きに未来を予測する
過去を振り返ることはあまり意味のないことなのでしょうか。今を生きて未来
過去の失敗、上手くいったこと、気にとどめておかなければならな
私は本当は一週間に一回位が理想なのかもしれないのですが何ヶ月
学生時代に歴史の先生が「後ろ向きに未来を予測する」と言うこと
過去ばかりを見つめて、そして未来を憂いてばかりいては、疲れてしまうでしょう。自分を程よく顧みて、今そして未来の自分はどうありたい
最後にTOKIOのリーダーのお言葉
後ろ振り返るの
時によっちゃ
アリだし
ナシだし
ま、それも
自分しだいよ
本日もご覧になっていただきありがとうございました。
伝え方が上手い人
「アサーション」という言葉がけっこう広まってきているような気がします。
簡潔に表現すると
「相手の立場にも立ち、自分の意見も言う」
「自分のことは言いつつ相手を傷つけない自他尊重の自己表現」
と言うことらしいです。
例えば、以前こんなことを言われました。
「いつも丁寧に仕事をしていただきありがとうございます。正確に
うまい具合に相手を尊重し自分の言いたいことを言っているように思えます。
結果、私はその仕事をお手伝いいたしました。その方は普段から相手の立場に立ってくれる優しい方だからお手伝いしたということもあります。私も周囲に対する心づかいのできる人になりたいです。
そんなあなたに
わたしもなりたい
みつを
弱冠、話がそれましたが普段からの周りに対する態度も大切なのは言うまでもないのでしょう。
また複雑な仕事を任されたとき、
ただ「この仕事難しいですけど、お願いできないでしょうか?」と言われるのと
「これは難しい仕事だけどお任せしたいです。信頼してるので〇〇
小手先のテクニックとか本心からでは無いかと言う意見もあるかも
逆に断るときは「申し訳ないのですが本日は難しいので明日でもよろしいでしょうか?」や「△△さんが得意なので△△さんにお願いしてみましょうか?」と代案を示してみる。ただし△△さんとの日ごろ良好な関係を築けているかも大切ですが…。
ベストセラーになった『伝え方が9割』という本があります。
自分の主張を言う前に相手の頭の中を「想像」する。のようなニュアンスのことが書かれていました。
私は相手の立場になって物事を考えて発言したり行動したりすることがどちらかと言うと得意ではありません。できるだけ「想像力」を働かせることを意識しなくてはなと思います。
さらにアサーションに「You メッセージ」と「Iメッセージ」というものがあります。
このブログをご覧になっている方で主婦(夫)の方もいるかと思います。家事を例にとってみると
「(あなたは)なんで家事を手伝ってくれないの?少しは協力してよ!」 You メッセージ
「お仕事毎日お疲れ様!(私は)あなたが家事を少し手伝ってくれると嬉しいな」I メッセージ
主語を少し変えるだけでソフトな印象になりませんか?
私はこのアサーションを使うのが苦手なので日々、意識することを忘れないためにもブログに書いておきました。
さて、ブログもあと2本くらい記事を書いてしばらくお休みします。
あとの2回は「あまり断定的に書かない」「後ろ向きに未来を予測する」を予定しています。
あともう1本書こうか悩んでいますがお蔵入りにしようかな….。
本日もご覧になっていただきありがとうございました。