負けること
このコラムは過去に書いたものを加筆・修正したものです。
とあるスポーツ漫画のなかで
“『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になる。”
という言葉を主人公達のチームと対戦して負けたチームの監督が発します。
これは挫折を乗り越える経験を「無形の財産」として捉えているのではないのでしょうか。
そして負けるということは悔しい思いや辛い感情を抱いている人への共感“的”理解が多少なりとも出来る人へつながっていくのではないかと思います。
長年予備校のトップ講師として活躍されている西谷昇二さんと言う英語の先生がいらっしゃいます。
西谷さんは書籍の中で
「理解する」は英語で「understand」という。分解すると「under」(下に)「stand」(立つ)だ。人間は「下に立って」初めて物事を「理解する」ことを、この中学生でも知っている簡単な単語は教えてくれる。1度も下の立場に立ったことのない人、1度も負けたことのない人には、人間のもつ悔しさ、悲しさなどを理解するのは難しい。”
と述べられています。
最後に詩人の相田みつをさんです。この様な2つの詩があります。
“七転八倒 つまづいたり ころんだり するほうが 自然なんだな にんげんだもの”
もう1つの詩は長いので要点だけをかいつまんで書きますと。
“柔道の受け身(投げられたりして床に倒されるとき、危険が少ないようにする練習)は人の前で叩きつけられたりする練習。
いわば失敗したり恥をさらしたり、ぶざまにさらけ出す練習であると。長い人生にはカッコよく勝つことよりもぶざまに負けることのほうがはるかに多い。そして負け方や受け身のほんとうに身についた人間、人の世の悲しみや苦しみに耐えてひと(他人)の胸の痛みを心の底から理解できる、やさしく暖かい人間になれるんです。”
と書いてあります。
負けたことや苦しい経験をしたことがあるひとは、それを乗り越えたときに「目には見えない大切なもの」をつかめる可能性がありますし「共感“的”に人の苦しみを理解できることがある」のでないでしょうか。
ただし私は負けても、できるだけ「卑屈」になりすぎずに、苦しい体験を乗り越えていければなと思います。その先にまた新しい自分が見えてくるのではないでしょうか。
次回は、「多忙な時こそ忘れがちなこと」または石田ゆり子さんのエッセイから感じたことを書きたいなぁと思っております。今回もお読みいただきありがとうございました。